大河ドラマ『真田丸』も佳境に入り、
最終回まで残すところあとわずか!
「真田丸ロス」に陥る事間違いない・・・
やはり最後のシーンがどう描かれるのか。
三谷さん、どんな仕掛けを準備してるんだろ。
真田幸村の最後もどう描かれるのかも楽しみですが、
秀吉の子・豊臣秀頼の最後も見物です。
この2人に秀頼公の鹿児島生存説について語ってもらいます!
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「大阪夏の陣」で敗れた豊臣方でごわすが、
母親の淀君(茶々)と一緒に自害したのが定説じゃっど。
だけど、わが薩摩藩で生存していたっていう説があっでごわす!
秀頼公の遺体が見つからなかったので、
どこかに落ち延びたんじゃないかと言われているみたいだけど、
「花のようなる秀頼様を、鬼のようなる真田が連れて、退きも退いたり鹿児島へ」
って歌が流行したみたいなんじゃ。
色んな説があるみたいだけど、
真田幸村と一緒に兵庫から船で薩摩(鹿児島)に来たみたいなんじゃ。
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鹿児島市の南の方に、
谷山って地域があるんだけど、
そこで生活してたみたいだね。
「たんにゃまんいんのくれにげ」
秀頼公は毎日、酒を飲んでは大暴れして、
無銭飲食を繰り返していたみたいだよ。
身長が190センチあったっていうから、
おいどんとそげん変わらんど。
島津ん殿様から、
秀頼公に対して無礼をしてはならん!
って通達があったから、
だれも怖くて近づけなかったみたいだね。
そこから、
「谷山犬のくれに逃げ」って言葉が生まれたみたい。
大河ドラマ『真田丸』で秀頼公を熱演した中川大志君も
谷山のお墓参りをしたでごわす。
一方の幸村は薩摩半島の南端の頴娃で生活してたみたいだね。
その地域に幸村の墓と伝わるのがあるみたいじゃ。
大阪で自害したのか、
薩摩で生き延びたのか、
本当のところはわからんどん、
当時を思い浮かべながらあれこれ想像して、
ロマンを感じるのがよかごわすなぁ〜。
じゃっど、じゃっど。
ちなみに、おいどんが西南戦争で敗れて、
城山で自害したときも首が見つからんで、
生存説が流されたごわすよ。
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